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出稼ぎ

前途したように圭伍氏の実家はバイク等を扱うモータースであったが、父・母親は若い頃から周りの人からも慕われ、面倒見の良い人でした。(かくゆう私も学生の頃、遊びに行くたびにご飯をご馳走になったり良くしてもらってました。)            そのような人柄から“保証被り”という不幸に見舞われ、市街地にある約400坪の土地と家とモータースなど全てを失うことになりました。父親と圭伍氏もバンドメンバー2人と共に“季節労働者手帳”を手に入れ本州の山間部にある工場へ出稼ぎに行く事になったのです。(半年後、残るバンドのメンバーも後を追うことになる。)

そこでの仕事もそうだが、なにより生活環境の厳しさは特に印象に残っていると聞いています。例えば真冬には会社の寮のサッシや、取り外された空調の穴から隙間風が深々と入り込み、朝起きると被った布団には霜が降るなど、九州育ちの皆には一段とこたえるようでした。それがどのくらい寒いかというと、雪が降った朝の出勤時にはバスも走っていなくて、近道の為に学校の裏を抜ける時には30〜40cm積もった雪の斜面を歩いて通勤することもしばしばあり、(滑り落ちる人もいたそうですよ。)  そんな環境の中でも前向きな性格の圭伍氏は、バンドのメンバーと筋トレやそれぞれが楽器や歌の練習を行い、休みの日には京都や大阪などでもライブを行い、活動域を広げていきました。